アイマグブログ― カマタヒロシ 

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多様

1988年『School Daze
1989年 『Do the Right Thing
1990年『Mo' Better Blues
と、立て続けにスパイク・リー監督作品に
印象的な役で出演していた俳優ビル・ナンが死去。
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中でも我々に強烈なインパクトを遺した
ドゥ・ザ・ライト・シング
でのレディオ・ラヒーム役は忘れられない。
スパイク・リー自らが演じるムーキーの友人ラヒーム
彼が何をやっているのかは解らない。
馬鹿みたいに暑い日、
ただただラジカセを担いでブルックリンの街を歩いてるだけ。
ラジカセの電池が切れれば、
韓国人の経営する商店に買いに行き口論になり、
イタリア人が経営するピザ屋でも口論になり…。
彼らの住むブロックの日常に起こる
多様な人種間の些細ないざこざ。
彼はこの映画のメッセージを端的に表している
非常に重要なキャラクターだった。
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ラヒームの右手には『Love
左手には『Hate』のリング。
コレが全てだ。

ラヒーム目線で久しぶりに
この映画をみてみようと思う。
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スパイクリー監督も追悼

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# by imag0020 | 2016-09-25 22:55 | My Favorite Things

番長

横浜DeNAベイスターズ三浦大輔投手引退
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2014年に貰ったサイン

かつて、番長清原和博が西武ライオンズからFA宣言した際に、
読売とのキヨ争奪戦の中で、
当時の阪神タイガース吉田監義男督が発した
「(伝統ある)タテジマのユニフォームをヨコジマに変えてでも来てほしい」
という有名な台詞がある。
清原への熱意を表したつもりだろうが、
縦縞を横縞にしたところで誰も得しない、
そもそもそんなこと清原自身も望んじゃいなかっただろう。
実は、阪神は2008年に今度は
『ハマの番長』こと
横浜ベイスターズ三浦大輔投手のFA宣言に対して、
「トラッキーをリーゼントにしてでも」
という口説き文句を用意していた。
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三浦の登板日限定でマスコットであるトラッキーの頭部をリーゼントにすればファンサービスにもなるというユルい発想だった。
だからどうした?って感じもするが、
当時の阪神・岡田彰布監督は三浦を高く評価していたので、
本気で入団を熱望していたのだろう。
結局は空振りに終わったが。
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野球ファンの間ではよく知られているが、
三浦は最もファンサービスに熱心な選手の一人だった。
球界でトップクラスだと思う。
僕が三浦を目撃した時は、
リーゼントにサングラス姿でファンの前に現れ、
サインはモチロン、記念撮影を求められれば、
いちいちサングラスを外して応じていた。
見た目いかつい三浦がファンに声をかけられる度に足を止め対応している姿が可笑しかったが、本当に延々とやっていたので、
10分経っても20分経っても前に進んでいなかったのが印象的だった。
サインをネットで売っている人をどう思うか?
という質問にも、
「三浦のサインなんて観に行ったらなんぼでも貰えるのにネットで買うなんてバカだなって言われるくらい書き続けたい」
って答えていたほどだ。
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それにしても現役生活25年!
しかも、入団時は
横浜大洋ホエールズ
って球団名だったわけだし。
もう『大洋』を知らない人の方が多いんじゃないか?
球団の親会社が代わろうと横浜一筋で投げ続けた三浦。
今更ながらトラッキーのリーゼントくらいで、
その横浜愛が揺らぐとはとても想えない。
三浦は91年ドラフト6位入団。
他にも金本、中村ノリ、イチロー(全員4位指名)など、
この年は下位指名から超大物が出ているのも面白い。
2012年、金本引退試合の際に先発で目一杯投げてくれた三浦。
今度は同期として金本がお返ししなくてはいけないと思う。

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# by imag0020 | 2016-09-20 22:12 | 野球評判家

高速

シマジャム2016
イヨイヨイッカゲツヲキリマシタ
チケットオモトメノカタハ
ボクノホウデモトリアツカッテマス
チェックサレタシ

タダヨミニクイダケデ
フツウノコトシカイッテナイ
コウソクメッセージデシタ
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# by imag0020 | 2016-09-20 00:39 | インフォメーション

証言

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LAMP EYE / 証言 7"

KP Record / JPN / 7"(レコード) / KPR009
2016年11月03日

ジャパニーズ・ヒップホップの金字塔。
20周年記念を祝した奇跡の復刻です。

『中核メンバーであるDJ YASのKP Recordsより発売される本作は、YAS自らリマスタリング~制作にあたった20周年記念盤。
待望のアカペラ・ヴァージョンを併録した待望の7インチ仕様!

1993年、六本木のクラブに集っていたDJ YAS、RINO、GAMAを中心に結成されたLAMP EYE。
証言」は、
同グループが中心となり結成されたヒップホップ・クルー「雷」に参加していたラッパーと1995年に録音されたポッセ・カットの大定番ナンバー。 RINO→YOU THE ROCK→G.K.MARYAN→ZEEBRA(キングギドラ)→TWIGY(マイクロフォン・ペイジャー)→GAMA→DEV LARGE(BUDDHA BRAND)といった、当時既にストリート・シーンを賑わせていたラッパー達によるポッセ・カットということもあり、96年の初リリース(DJ YAS達による自主レーベル、えん突つレコーディングスより発売)の時点から大きな話題となりました。当時から入手困難となっているアイテムですが、ライブ・シーンで歌い継がれていることもあり、日本語ラップの世界では知らぬものなしの有名曲です。 集団ラップにつきもののにぎやかさのかけらもない、緊張感みなぎるマイク・リレーは、この時代の日本語ラップ・アーティストにしか出せないストイックなもので、それゆえ、20年経った今でも色あせない普遍性を誇っています。
今回の20周年記念リリースには、DJ YAS自らのプロデュースにより、B面にアカペラ、ビートを収録したオリジナル12インチと同じ仕様での7インチ化。2枚使いにもってこいの鉄板仕様に仕上がっています。』

http://diskunion.net/sp/clubh/news/article/1/61709?dss_mode=sp

6月のS.O.N.Y. 20周年の時の
サブタイが "Back To The 90's"
だったのは記憶に新しいところだが、
実はあの日、それぞれのDJの選曲面に関しては
それほど90年代を連想するような内容にはならなかった。
ところが翌日の高知でのこと、
かなり深い時間だったが、
クボタが突然『証言』をかけ始めたのだ!
まさに20年前の「あの頃」を知ってる我々からしたら、
キミドリのクボタ」がかける「証言」なんて!
あのビートがフロアに流れると同時に、
クボタの隣で突っ立ってた僕の中で何かが決壊する音が聴こえた。
そう、モチロン、
D.L.による『証言7』のバースまで、それは続いた!

「惨めな頭にゃけち臭い夢
それなりのちっちゃい臭い人生
虚弱な知性で死に突き進む
待ってるドラマは不幸な結末」

マジで言霊が飛んできて刺さった

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# by imag0020 | 2016-09-16 01:12 | My Favorite Things

偉人

早朝から本当に驚かされた。
キング・オブ・ブルービート
プリンス・バスター死去
これはエルヴィスやJBの死と同じくらい、
我々の愛する音楽にとって大きな損失だ。
僕らの読む教科書の最初の方のページに必ず載ってる人物。
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僕らはスカという音楽をスペシャルズやマッドネスと言った
2トーン勢によるブリティッシュ・スカ・ムーヴメントを通じて知った世代だ。
謂わばプリンスバスター・チルドレンの音楽を聴いて夢中になったのだ。
(彼らの曲の多くがバスターのカバーだったり、オマージュだったり、そのまんまだったり)
少なくとも僕個人はスカがジャマイカの音楽だなんて、
これっぽっちも知らなくて、英国産だとばかり思っていた。
スカにルーツがあることも考えたりしたことはなかった。
英国ではスカのことをブルービートと称しているが、
これはすなわち[Blue Beat]レーベルのレコードを指している。
そして、ブルービートの顔であったバスターやローレル・エイトキンはルードボーイの象徴となった。
我々のイメージする『ルーディ』のかなりの部分をバスターが占めていると思っていい。
ヒューマン・ビートボックス的なチキチキと口でリズムを刻むのもバスターが始めた。
皆でバスターの芸を継承してきただけなのだ。
スカはジャマイカ~英国を経由して日本へ、島国から島国へと伝来し、その土地土地によって独自の発展を見せてきた。
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89年、伝説のスカタライツ初来日の際にもメンバーではないバスターがスペシャル・ゲストとして参加していたことはあまりにも大きい。
スカタライツだけのライヴを観るのとバスターがいるのとでは
印象も大きく違っていただろう。
初めて見るスカ・オリジネーターの姿。
これほど説得力のあるゲストもいなかったはずだ。
そうやって日本のスカ・シーンもバスターの恩恵を大いに受けてきた。
スカタライツとやって来た半年後には再び単独来日し、
都合でメンバーが揃わなくて寄せ集めた特別編成のスカ・フレイムスがバッキングを務めたツアーもあった。
デタミとの共演なんて最近のような捉え方していたけど、
もう13年も前だったのか。
([Rock a Shacka]からリリースされたDVDでライヴのラストに観客がステージ上に押し寄せるシーンがあって、コヤマンタドゥが映ってる)
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僕のDJをここ1年くらいの内に聴いたことある人は解るかもしれないけど、
最近またブルービートのシングルをよくかけてた。
[Enjoy It (Enjoy Yourself)]とか、
ド定番の曲を、しかもバスター3連発とか。
あと、例の[Radio Clash]の中でも、バスターの曲を効果的に使ってて、そりゃクラッシュも好きだわなって確認したり。
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シンシナティ・レッズのキャップ姿のバスターを見て、
「バスターってカープファンだったのか?」
っていうのはスカ好きのあるあるネタだった。
スカばかり言ってるけど、
バスターはロックステディも最高だったな。
プロデューサーとしても。
とか、
もうどれだけ書いたところで偉大さを語り尽くせるわけないか。

"What a Hard man fe dead"
なんて歌ってたのにな。

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# by imag0020 | 2016-09-09 15:45 | My Favorite Things
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DJ / 音楽評判家 / 80's洋楽王 / マット・マートン・ファンクラブ / 野球カード蒐集家


by imag0020
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