アイマグブログ― カマタヒロシ 

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カテゴリ:野球評判家( 23 )

連覇

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阪神やオリックスなどで活躍したライアン・ボーグルソン投手(40)が11日(日本時間12日)、現役引退を表明した。


https://www.daily.co.jp/baseball/2017/09/12/0010546292.shtml


ボーグルソンって言っても10年前に阪神に2年間在籍して

10勝しただけの外国人選手なので阪神ファンしか記憶にないだろう。

このアイマグブログのスタート時に毎日のように阪神ネタを投稿していた時期があって、

確かボーグルソンの奥さんが甲子園球場のCMに出ている動画を紹介した記憶がある。

阪神ファンでも、奥さんが美人だって話題になったくらいしか印象に残っていないかも。

だが、僕はボーグルソンが好きだった。

アッサリ2年で自由契約になったが、

もったいないなと感じていた。

そしたら帰国後にサンフランシスコ・ジャイアンツでメジャー復帰、

2年連続2桁勝利を挙げてオールスターには選ばれるわ、

ワールドシリーズに出場するわ、

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最終的にはWBCアメリカ代表メンバーにまで

選出されるスター選手になってしまった。

(NHK BS中継では忠実な発音で「ヴォーゲルソン」と呼ぶ)

本人も日本で投球術を学んだ的な事を語っていたそうだが、

阪神の逃した魚は大きかった。

当時ボーグルソンにサインを貰っていなかったことが悔しくて(そんなチャンスもなかったが)、

TTM事情に詳しい友人の指導を仰ぎボーグルソンに

手紙とともにカードを送ることにした。

本当なら阪神時代のカードとメジャーのカード両方あれば良かったが、

阪神のカードしか持ってなかったので欲張って2枚封入し、

当時在籍していたサンフランシスコ・ジャイアンツに直接送った。

まだポストシーズンが残っている時期だったので、

クラブハウスなどで時間の空いてる時に手紙を読んで

サインして返信してくれるかもって作戦だ。

個人的に仕事で買い付けに行ってた頃の印象で

サンフランシスコは最も好きな街であり、

実際にジャイアンツのボールパークで観戦したこともある。

なのでサンフランシスコにエアメールを送る

ってだけでテンション上がるし、

ホントに返信来るのか?

とワクワク感もハンパなかった。

そしたら、なんと僅か2週間程で本当に返ってきた!

松山~サンフランシスコ~松山の郵便ルートとしては

最短時間ではなかろうか?

何百円かの切手のみでボーグルソンにカードを届けて

サインしてもらって持って返ってきてくれるのだから

郵便局バンザイである。

返信用の宛名は予め自分で書いて入れておいたものではあるが、その時の封筒もちゃんと保管してある。

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背番号は阪神時代の番じゃなくて当時の32番になっている

しかし、2枚ともサイン入りで返ってきた!

そんな経緯もあってボーグルソンのメジャーでの活躍にも注目していたのだが、

残念ながら今季で引退してしまうとのこと。

しかもサンフランシスコジャイアンツは18日に本拠地で

ボーグルソンの引退試合を行うそうだ。

最後は他球団で現役を終えたにも関わらず、

そんな風に扱ってもらえるなんて、

さすがはワールドシリーズ連覇のメンバーだ。

阪神も始球式か何かで日本に呼んでくれないかな。

セシルフィルダー同様に自慢のOBだと思うなー。

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by imag0020 | 2017-09-14 16:58 | 野球評判家

退任

阪神 掛布2軍監督 今シーズンかぎりで退任へ

910

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170910/k10011134041000.html

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最近の阪神は良いニュースと悪いニュースが交互にやってくるが、

それにしても寝耳に水な報道だった。

あまりにもショックで落ち込んだ。

僕の掛布さんへの想いは以前このブログにも書いた通りだ。


http://imag002.exblog.jp/25465516/


1988年にユニフォームを脱いでから28年もの長い年月を経てやっと帰ってきた31番を

たったの2年で返上させるとは。

世間では生え抜きのスターである掛布さんが2軍監督で、

他球団から移籍してきた若い金本が1軍監督なんて立場が逆だろうと言う人も多かった。

でも、僕は別に掛布さんが1軍監督にならなくてもいいと思っていた。

決してエリートではなく高卒のテスト生入団、身体も小さい。

しかし、人一倍練習し、阪神歴代最多ホームランを打った。

本人も自身のような選手をと、

情熱を持って若手選手を育成してきたし、

これほどの適任者は他にいないと思う。

昨年の原口、今年の中谷と長らく阪神に不在だった生え抜きの大砲候補がやっと開花するキッカケを掴んだ。

同じく大型ルーキー高山も(故障もあったが)

春季キャンプは掛布さんの指導する安芸でスタートしていた。

金本監督も安心して2軍に任せていたのでは。

掛布さんは決して我を通すタイプではない。

本人だけでなくオールドファンも一度は諦めていたであろう

阪神の指導者になる道を2軍監督という形で得ることが出来た。

阪神を強くするために一軍に戦力を送り込むという任務に

心身ともに捧げる覚悟で指導にあたっていたと思う。

自ら広告塔となりファンサービスに徹することで2軍の試合や練習にファンが押し寄せ、営業面にも貢献した。

(なにしろ甲子園で開催した2軍の試合に10000人動員させたのだ)

ミスタータイガースと呼ばれた男が甲子園のスポットライトではなく、

鳴尾浜で真夏の強烈な直射日光を浴び、

62歳の身体にムチ打って若いコーチと若い選手を引っ張っていた。

OBや関係者は掛布さんに感謝しなければならない。

モチロン掛布さんが2軍監督なんて激務を永遠にはやれないのは解っている。

次期1軍監督候補の指導者育成の点においても2軍監督というポストは重要だ。

しかし、球団も1度は掛布さんに任せた以上、とことん任せなければ。

2年はあまりにも短すぎる。

本人も志半ばであろう。

カープが現在あれほどの強さを誇っているのは長年の生え抜き選手育成が花を咲かせたからだ。

結果が出るまは耐えなければならない。

FAの大型補強や使えない助っ人外国人選手をコレクションする短絡的な場当たり補強にはもう誰も魅力を感じていない。

糸井、福留、西岡、それぞれ良い選手だが、

少なくとも僕は感情移入することはできないのだ。

それよりも高山、横田、大山、中谷、原口、北條、陽川、梅野らが並ぶスタメンの方がテンション上がる。

その為のチーム作りの後方支援が掛布2軍監督の役割だったのに。

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掛布さんは31という背番号を大事にしてきたが、

常々この番号は選手が着けるものだと語っていた。

実際、現役を引退してからはサインに「31」は書かなくなっていたが、この2年間は31と書いてくれていた。

一説には球団も清宮獲得の為に背番号31を空けておきたいという意向があるそうだが、

そんなもん本当に入団したら掛布さんは喜んで明け渡すだろう。

掛布さんは背番号なんて何番でも良いのだ。

ファンももう31番を十分に見させてもらったし。

そんなことよりも大切な事を球団は見落としている。

今季のファーム最終戦を掛布さんのお別れ試合として

甲子園で緊急開催することも検討されているそうだ。

でも、掛布さんはそれも本意では無いだろう。

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とにかくガッカリしたわ、ホント。

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by imag0020 | 2017-09-12 14:39 | 野球評判家

早大

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阪神 鳥谷敬内野手がNPB史上50人目となる通算2000本安打を達成。

阪神の生え抜き野手としては1984年に達成した藤田平以来2人目という快挙だ。

初代ミスタータイガースと呼ばれた藤村富美男を始め、吉田義男、田淵幸一、掛布雅之、岡田彰布、和田豊、今岡誠、

歴代の生え抜き強打者の誰も到達していない記録だ。

左打ち、そしてショートということを考えれば藤田と共通しているが鳥谷は大卒。

特に打撃タイトルを獲得した訳でもなく、

打率3割を記録したのも3回しかない。

ひたすら試合に出場し続けコンスタントに

ヒットを積み重ねた結果の大偉業である。

喜怒哀楽をあまり面に出さないタイプゆえ

こちらも感情移入しにくい選手ではあるが、

チームリーダーとして黙々と試合に出場し続けコンスタントにヒットを積み重ねた結果。

昨年はショートの座を降ろされ、もう限界説が出てたけど、

今年は見事な復活劇だった。

顔面デッドボールで鼻を骨折してもフェイスガード着用で出場してきたのも凄かった。

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あの星野政権下で18年ぶりのリーグ優勝に沸きに沸いた

2003年の阪神ファンにトドメを刺したのが東京六大学野球で三冠王のスーパースター早大・鳥谷の自由枠獲得だった。

当然、巨人、横浜、西武など関東の球団も鳥谷を狙っていたが、東京出身で東京の大学でプレイする鳥谷が、

なぜ阪神を選んだのかいまだに謎だ。

一説には長くプレイするために天然芝の甲子園を希望したということだが、

そんな高い意識でプロに入ってくる選手だったことに驚かされる。

同じく六大学のトップ選手として早大から阪神に鳴り物入りで入団した大先輩の岡田が監督に就任したタイミングで鳥谷が入ったことも縁があったのだろう。

お陰で岡田監督はルーキー時から鳥谷をショートで起用することに対して大学の後輩だから贔屓してると言われ憤慨していた。

「阪神のショートは向こう10年鳥谷で大丈夫」

岡田監督の眼は確かだったし、

それに結果で応えた鳥谷もやはり只者ではなかった。

まだ阪神に金本や桧山、今岡、新井ら野手のベテランがいたので鳥谷も伸び伸びとプレイできたのが良かったのかもしれない。

同じ早大からヤクルトに入った(しかもドラフト4位)青木宣親が先に大ブレイクしたのを見て、

なんであいつを獲らなかったのか?って思ってた時もある。

鳥谷って何番を打たせるのがベストなのか最も頭を悩ませるバッターって評価だったが、

まさか2000本安打なんて想像しなかったな。

僕はショートに憧れているので草野球ではいつも鳥谷ユニフォームだった。

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あとの願いは将来監督になったら鳥谷と同い年のマートンをバッティングコーチで呼んでほしい。

あと、もっとファンにサインしろってことぐらいかな。

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これは知人を通じて貰ったサインボール。やはりカードにサイン欲しい。



文中敬称略


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by imag0020 | 2017-09-09 12:05 | 野球評判家

寛解

『阪神・横田慎太郎外野手(22)が

3日、「脳腫瘍」で闘病していたことを球団が発表した。


鳴尾浜の独身寮・虎風荘内で取材対応した横田は、

「本当に最初はびっくりして。ここから先、野球を続けていけるか不安でした」

と偽らざる本音を明かした。

現在は寛解しており、復帰へ向けたリハビリを始めている。

今春の沖縄・宜野座1軍キャンプ中に頭痛を訴え、2月11日に緊急帰阪した。

精密検査を受け、診断された病名は「脳腫瘍」だった。

「すごい厳しい治療もあったんですけど、皆様の支えがあったからこそ、ここまでこられました。病院の先生方、看護師の方々、球団・チームの方々、そして手紙や本、千羽鶴を贈ってくださったファンの皆様の支え、励ましがあったからこそ、ここまで頑張れました」。

入院後、復活した自身の姿を夢見ながら懸命に病と闘った。半年以上戦列を離れたが、2日に帰寮し、室内での軽度のトレーニングから完全復活への道を歩み始めた。

「これからの野球人生が、同じ病気を持つ人たちに『夢』、『感動』を与えられるようなものにできるよう、頑張っていきたいと思います」と、一歩ずつ復帰への準備を進める。

横田は、鹿児島実業高から2013年ドラフト会議で2巡目指名を受けて入団。

2016年には中日との開幕戦(京セラドーム大阪)で「2番・中堅」として先発起用され1軍デビューした。

父親は元ロッテなどで外野手として活躍した横田真之氏。』

(スポーツ紙より)


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阪神から超有望な1人の選手の消息が途絶えていた。

いや、存在自体が完全に消えていた。

かつて桧山進次郎が阪神一筋22年間背負っていた

背番号24を受け継いだ選手だ。

記事にある通り、2月の沖縄宜野座キャンプの最中に、

度重なる(原因不明の)頭痛を訴え緊急帰阪したと報じられ、

そのまま何の報道も無いまま今シーズンが開幕し、

横田の名前をメディアで見かけることは無くなった。

病院で何らかの検査を受けたとか、

もう二軍で練習再開しているとか、

何でもいいから知りたいのに、

良いニュースも悪いニュースも一切なし。

沖縄から帰った後、

気味悪いほどに横田の件は触れられなくなった。

かなり重要機密だと思われるような球団内の事案が

あっさりとマスコミに漏れるのが良くも悪くも

阪神という人気球団の特徴だ。

しかし、横田に関する情報は無し。

ファンからの目撃情報も無い。

まるで、もう最初っから横田なんて選手は存在しなかったかのように。

当然のようにネットの掲示板はファンの憶測による様々な噂で膨れ上がっていた。

「横田は我々ファンが創り上げた幻想だったのでは」

なんてことを書き込んでいる人もいたほどだ。


実は僕自身も幻想を抱くほど横田という選手に入れ込んでいた。

僕が最も敬愛し、ファンクラブまで作った選手

マットマートンが退団し、帰国してからは、

阪神というチームに以前ほどの想い入れが無くなっていた。

しかし、子供の頃からのヒーローであった掛布さんが

阪神のユニフォームを着て二軍監督としてチームに帰って来たことで、

僕は若手中心のファーム(二軍)に注目するようになった。

甲子園ではなくファームの本拠地である鳴尾浜球場に敬意を払い、

好きなチームは阪神ではなく『鳴尾浜タイガース』と呼ぶようになり。

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その鳴尾浜でダイヤの原石の如く、いや、

まるでダイヤそのものの輝きを放っていたのが横田慎太郎だった。

昨年、掛布さんが二軍監督に就任した際に

出演したテレビ番組で横田について触れ、

「糸井嘉男(当時オリックス)や柳田悠岐(ソフトバンク)のような走攻守三拍子揃った選手になれるほど身体能力の高い選手」

だと絶賛していた。

そして、金本知憲新監督は『超変革』をスローガンに掲げ

若手を積極起用することを明言し、

その先鋒となったのが、大型ルーキー高山俊と横田という

若手外野手の1・2番コンビだった。

このスピード感溢れる1・2番は新しい阪神を印象付けるには充分すぎるフレッシュな魅力があった。

実際、金本阪神は開幕ダッシュに成功したが、

経験の浅い若手中心のチームは徐々に失速していく。

横田は二軍降格し、夏場以降は一軍に戻ってこなかった。

結局、昨年の横田の一軍成績は38試合出場、

20安打、0本塁打、4盗塁に終わった。

しかし、この経験は来季(2017年)絶対に活きると思った。

なにしろ横田は今年22歳になったばかり。

2017年こそ大ブレイクの年になると信じて疑わなかった。

それが、まさかこんなことになるとは。

まずは、やっと事の真相が明らかになり、

横田がまだ現役生活を続けられることにホッとした。

多くのファンがシーズン終了後に球団から

何らかの発表があるだろうと予測していたし、

それは悪い方の予測でしかなかった。

確かに脳腫瘍という衝撃的な悪い報せではあったが、

既に寛解(全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること)し、

来年2月のキャンプに間に合わせる事を目標に

リハビリを開始したという、

嬉しい知らせも付いてきた。

良かった。

このまま横田が消えていたら本当に幻想だったと思うしかなかった。

これから始まる横田の新しい闘いを精一杯応援したい。

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入団時のサインまで所有している。



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横田の父親も80年代にロッテで活躍していた。

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by imag0020 | 2017-09-04 03:59 | 野球評判家

投稿

ベースボールマガジン9月号
2017年 8月 2日発売
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猛虎の記憶 阪神タイガース光と影
虎にまつわる5つのWHY?

現在発売中のベースボールマガジン(週刊ベースボールではなく月刊)の阪神特集。
あー、なんかこういうのよく出てるなーって
思いながらパラパラとページをめくっていると、
『歓喜のベストゲーム5 アンケート集計結果』
というページの投稿欄に、
「ホッテストヒッツ」という名前が!
アレ?コレ、俺やん!(笑)
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確かにこんなこと書いた記憶はある。
多分2ヶ月くらい前にベースボールマガジン社の
オンラインアンケートを見て、
ノリで書いて送信していたのだろう。
何の雑誌用なのか覚えてなかったけど、
掲載されていてビックリした。
しかも、みんな一行程度しかコメントを書いてないのに僕だけ長々と書いてる(笑)
もしかしたら、もっと長かったかも。編集されてる可能性も。
もう終わってしまったが、
NHKの『ケータイ大喜利』にたまに投稿する時も
偶然観ていた人に気づいてもらえるように
「愛媛県 ホッテストヒッツ」という名義で
挑戦していた(採用されたことはない)
のだが、初めて陽の目を見て良かった。
ただ、コレは誰にも気づかれないと思ったので
ここに報告させてもらいました。
こんなことでも
「ベースボールマガジンに寄稿した」
と経歴に加えたいほど嬉しいのだ。


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by imag0020 | 2017-08-10 11:43 | 野球評判家

阪急

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阪急ブレーブスを率いてリーグ優勝5度、
日本一3度という輝かしい経歴を持つ監督
上田利治氏が1日に死去。
享年80歳。
監督通算1322勝は歴代7位
2003年には野球殿堂入りを果たしている名将だ。

僕の幼少期のプロ野球界は、
パリーグ6球団の内の半分
阪急ブレーブス
近鉄バファローズ
南海ホークス

が同じ関西エリアに本拠地を置いていた。
セリーグの阪神タイガースも含めると、
4球団のオーナー全てが在阪私鉄会社だった。
他にも僕が生まれる以前にあった、
国鉄スワローズ(現 東京ヤクルト)、
東急電鉄の東急フライヤーズ(現 北海道日本ハム)、
西日本鉄道の西鉄ライオンズ
(これは後に西武鉄道グループによる西武ライオンズになる)
と、鉄道会社所有球団が圧倒的に多かったのだ。

現在のパリーグのように各チーム普通に人気があって、
球場にお客さんが満員でって
光景に慣れてる世代には、
信じられないような閑古鳥の鳴く球場ばかりだった。
やはり、人気面ではセリーグに所属する阪神が圧倒的で、
他の3球団が束になっても敵わなかったのだ。
僕は、その4球団全て好きだったのだが、
小学生の頃、初めて観戦したのは、
大阪球場での南海対近鉄だった。
まだ野村克也さんが南海の監督兼4番キャッチャーの頃。
なんば駅の裏という大阪のど真ん中に球場があっても
本当にお客さんが少なかった。
ガラの悪いヤジもウケ狙いのヤジも全部選手に届くほど。
現代なら地方の独立リーグでも、
当時のパリーグよりもお客さん入って盛り上がっていると思う。
とは言え、近鉄には野球ファンに語り継がれるドラマティックなシーンが何度もあったし、
南海なんて水島新司先生の
『あぶさん』のお陰で、
実際の選手の顔より作品で描かれた顔を記憶していた。
(選手だけじゃなくて裏方スタッフのことまで詳しくなったり)
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↑水島先生の描く南海選手たち

各チームのカラフルなユニフォームも好きだったし、
それぞれのエース投手も魅力的だった。
少なくとも西武ライオンズの黄金期が訪れるまでは、
関西3球団がパリーグの主役だったように思う。
中でも阪急は特に強かった。
上田監督就任2年目の1975年は、
球団創設26年目にして悲願の初優勝で熱狂的な赤ヘルブームを巻き起こした広島東洋カープを相手に日本シリーズを制し、
翌1976年は、長嶋茂雄監督初の優勝で勢いに乗る巨人を相手に4勝3敗、
翌年再び巨人とのシリーズでも4勝1敗と寄せ付けず、
3年連続日本一を達成した。
僕が野球に興味を持った頃、
セリーグの覇者は阪急には通用しなかったのだ。
僕は父親や親戚のおじさんに
よく球場に連れて行ってもらっていたのだが、
なぜか阪神甲子園球場よりも
同じ西宮市にある阪急西宮球場に行くことが多かった。
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阪急のチームカラーであるオレンジを基調とした美しいスタジアム。
シカゴのリグレーフィールドを模して設計されたらしい。
僕の敬愛する江夏 豊投手が
1971年のオールスターゲームでパ・リーグの錚錚たる強打者を
9人連続三振に斬った、
まるで漫画のような伝説的なシーンもこの球場での出来事だ。
ちなみに僕が最後に同球場を訪れたのは仕事で行った
Bon Joviのライヴ(笑)で、
調べてみると1995年5月16日、
その年に起こった阪神大震災の復興支援ライヴだった。
小雨の降る中でのライヴだったが、
球場に着いた瞬間から子供の頃の記憶が甦り、
懐かしさでボンジョヴィとは無関係に感動していたのを思い出す。
阪急がオリックスに身売りし
西宮球場も使われなくなり、
翌96年には同球場で最後のプロ野球公式戦が開催されたそうなので、
あれが僕にとっては西宮球場に行けた本当に最後のチャンスだったようだ。
話は逸れたが、西宮球場では
阪急の開幕戦をよく観た。
毎年、開幕のマウンドには必ず大エース山田久志が立っていた。
何しろ山田は1975年から1986年まで、
プロ野球記録の12年連続開幕投手を務めている。
そのため、僕が何度か観戦した開幕戦も正確な年が特定できないのだが、1976,77年頃だったのではないだろうか。
福本豊、加藤秀司、マルカーノ、ウィリアムス、蓑田浩二、
山口高志など好きな選手だらけの阪急の中でも
山田投手は僕の中で別格だった。
球場で買ってもらったサイン入りブロマイドはずっと大事に飾っていた。
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↑これは比較的最近貰ったサイン

そういえば実家には上田監督をはじめ、
前述の主力選手の寄せ書きサインが入った色紙がずっと飾ってあったのだが、あれはどうなったのだろう?
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↑ネットで検索したら全く同じものが出てきた。
1976年頃らしい。上田監督のサインが中央下。

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↑阪急ブレーブスのマークって
レゲエのTROJANレーベルのマークに似てる。


時を経て親会社は阪急阪神ホールディングスとなり、
オリックスブルーウェーブも近鉄バファローズと合併し、
南海はダイエーに買収され九州に移転、現在はソフトバンクとなった。
阪神だけがその冠を残していることになる。
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近年『KANSAI CLASSIC』と題して、
オリックスとソフトバンクが前身である阪急・近鉄・南海の
ユニフォームを着用して試合する企画などもあり、
オールドファンから当時を知らない世代まで好評となっているようだ。
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上田監督の訃報に接し改めて昭和のプロ野球に想いを馳せた。
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個人的に音楽同様、野球も80年代ブームが再燃している。
野球評論家金村義明氏(近鉄他)の著書が面白かった。

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今井雄太郎投手

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蓑田浩二選手

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山沖之彦投手

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by imag0020 | 2017-07-08 06:06 | 野球評判家

代表

Dread At The Controls
一昨日のWBC強化試合
侍ジャパン vs 阪神タイガース
を観た。
大事なとこでバントすら決められない代表チームより
阪神の方がのびのびやってて
よほど魅力あるチームに見えたな。
上本と鳥谷以外は若手中心で
魅力あるスタメンだった。
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北條なんか、もう山田哲人になりかけてる。
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投手陣も先発メッセンジャー岩貞を挟んで
7回からの終盤3回は
メンデスマテオドリスドミニカンのリレー!
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次々とドレッドのリリーフが登板してきて、
下手したら投手交代してることにも気づいてない
視聴者もいたんじゃないか?
これから国際試合に向かう代表チームにとっては、
これ以上ない相手だったと思うけど。
それにしても侍ジャパンが主役だから仕方ないけど、
あの中継はどうなんかなー?
中居以外解説者が誰も阪神の選手について触れないし、
驚くほど阪神ベンチも映らない。
金本がベンチにいることすら忘れてたわ。
WBCやオリンピックの時って
日本にいる相手国のファンは
こんな気持ちで観てはるんやなーって勉強になった。
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ま、カード載せたいだけなんやけどな。

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by imag0020 | 2017-03-05 10:10 | 野球評判家

遺言

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野村の遺言
(著)野村克也
(小学館)

野球のダイヤモンドは社会の縮図である
9人の選手たちがそれぞれ違う役割と責任を果たすことで
差さえ合い、助け合い、有機的に結び付きながら、
一つの目標に向かっている。

10月に発売されたノムさんの新刊。
ノムさんの著書はいまだに年に数冊は出版されており、
共著作も含めると軽く100冊は越えていると思われる。
その辺の売れっ子作家も敵わないほど膨大な数で、
僕もある時期までは作品が出る度に追っていたのだが、
ペースが速すぎてとてもじゃないが追い付かなくなってしまった。
それに、これだけ書いてると、
読んでても、その話前にも読んだわー、とか、
ファンなら知ってます知ってますって話も多くなってくる。
以前『水曜日のダウンタウン』で、
野村克也 著書の中でエピソードの再生もすごい説
と検証されていたほどだ。
江夏に球界に革命を起こそうとリリーフ転向を説いた話とか、
まー、ちょっと野球が好きなら知ってるような話も多い。
て言うか要は自身の功績(自慢)と提言(ボヤキ)が軸になってる。
これだけ名も実もあるノムさんも、
まだまだ誰かに認められたい、
もっと褒められたいだけなんだなと思う。
まるで自己顕示欲の塊だけど、それは何も悪いことじゃなくて、
それがノムさん流の居場所の確保の仕方というか。
今回の新刊『遺言』とは穏やかでないが、
御歳81、現場を退いて既に7年も経つのに、
今なお球界に物申したいことが尽きない。
以前、ノムさんがあまりにも阪神のことを悪く書きまくってるので、
掛布さんが自身の著書でOBとして苦言を呈していたことがあるほど。
球界関係者から嫌われることも厭わない姿勢は
野球への愛情と情熱以外の何物でもない。
もはや長嶋さんや王さんのことまであれこれ言えるのも、
ノムさんくらいしかいないだろう。
この本は遺言と題するだけあって、
ある意味野村野球の集大成とも言える本格的な捕手論だ。
野球の大きな特徴である、
一球一球の「間」が生かされていないことで、
野球が面白くなくなってしまっている

僕らのDJやいろいろな表現も
常々「間(ま)」の使い方次第だと思っている。
「間」とは、空間であり、
タイミングであり、ブレイクであり、要はセンスの通称。
「間が悪い」って言葉があるが、
間が全てを台無しにする瞬間をよく見てきたから、
これは野球だけに限らない金言だと思った。
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サイン入れていただきました。家宝レベルの書。

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by imag0020 | 2016-11-10 04:58 | 野球評判家

番長

横浜DeNAベイスターズ三浦大輔投手引退
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2014年に貰ったサイン

かつて、番長清原和博が西武ライオンズからFA宣言した際に、
読売とのキヨ争奪戦の中で、
当時の阪神タイガース吉田監義男督が発した
「(伝統ある)タテジマのユニフォームをヨコジマに変えてでも来てほしい」
という有名な台詞がある。
清原への熱意を表したつもりだろうが、
縦縞を横縞にしたところで誰も得しない、
そもそもそんなこと清原自身も望んじゃいなかっただろう。
実は、阪神は2008年に今度は
『ハマの番長』こと
横浜ベイスターズ三浦大輔投手のFA宣言に対して、
「トラッキーをリーゼントにしてでも」
という口説き文句を用意していた。
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三浦の登板日限定でマスコットであるトラッキーの頭部をリーゼントにすればファンサービスにもなるというユルい発想だった。
だからどうした?って感じもするが、
当時の阪神・岡田彰布監督は三浦を高く評価していたので、
本気で入団を熱望していたのだろう。
結局は空振りに終わったが。
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野球ファンの間ではよく知られているが、
三浦は最もファンサービスに熱心な選手の一人だった。
球界でトップクラスだと思う。
僕が三浦を目撃した時は、
リーゼントにサングラス姿でファンの前に現れ、
サインはモチロン、記念撮影を求められれば、
いちいちサングラスを外して応じていた。
見た目いかつい三浦がファンに声をかけられる度に足を止め対応している姿が可笑しかったが、本当に延々とやっていたので、
10分経っても20分経っても前に進んでいなかったのが印象的だった。
サインをネットで売っている人をどう思うか?
という質問にも、
「三浦のサインなんて観に行ったらなんぼでも貰えるのにネットで買うなんてバカだなって言われるくらい書き続けたい」
って答えていたほどだ。
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それにしても現役生活25年!
しかも、入団時は
横浜大洋ホエールズ
って球団名だったわけだし。
もう『大洋』を知らない人の方が多いんじゃないか?
球団の親会社が代わろうと横浜一筋で投げ続けた三浦。
今更ながらトラッキーのリーゼントくらいで、
その横浜愛が揺らぐとはとても想えない。
三浦は91年ドラフト6位入団。
他にも金本、中村ノリ、イチロー(全員4位指名)など、
この年は下位指名から超大物が出ているのも面白い。
2012年、金本引退試合の際に先発で目一杯投げてくれた三浦。
今度は同期として金本がお返ししなくてはいけないと思う。

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by imag0020 | 2016-09-20 22:12 | 野球評判家

池田

映画
蔦監督 高校野球を変えた男の真実』上映会

2016年8月27日(土)
10:20~12:30
シネマルナティック
(松山市湊町3-1-9 マツゲキビル2F)

無料上映
上映当日カンパを募ります
上映後、蔦哲一朗監督(孫)の舞台挨拶あり。
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今年の夏の甲子園は作新学院の優勝で幕を閉じた。
甲子園の長い歴史が生んだ数々のドラマは、
毎年この時期、各メディアで特集が組まれている。
我々世代の筆頭はなんといっても清原和博・桑田真澄のKKコンビを擁するPL学園だ。
1年生の時からエースと4番で優勝してしまう、
まるで実写版『ドカベン』のような常勝軍団だったのだが、
その二人が一躍全国区のスター誕生となったのが、
1983年夏の甲子園準決勝での池田高校戦だった。
池田高校は、82年夏・83年春も優勝し、
史上初の「夏春夏3連覇」達成か?と注目されていた。
僕の記憶では前年夏の決勝で
広島商業相手に初回から10点くらい取ってしまい、
広商の選手がヤル気を失い、
怠慢な攻守交代を見せ、
審判に注意されたりするくらい池田が圧倒的な強さで、
決勝なのに緊張感が無かった印象が残っている。
なので、84年夏も池田が優勝するか?っていう結果より、
いかにして優勝を決めるか?という経過に注目する、
ほとんどスターウォーズみたいな大会だったのだ。
ところが、順当に勝ち進みPL学園との準決勝で、
当時まだ1年生でノーマークだった桑田に、
阿波の金太郎こと池田のエース水野雄仁が
まさかのホームランを打たれた。
水野が甲子園で打たれた初めてのホームラン。
テレビで観ていたが、この衝撃はデカかった。
そこからは『山びこ打線』と呼ばれた池田打線のお株を奪うような攻撃で7点を取られ、
逆に池田打線は桑田の前に沈黙し、完封負けを喫してしまう。
水野は4番清原を4打席4三振に抑えたにも関わらずだ。
大本命から大金星を勝ち取ったPL学園は勢いに乗り、
夏の甲子園優勝校となった。
80年代高校野球の主役が池田からPLへと交代した試合として語り継がれている。

この映画は、四国高校野球の横綱であった
徳島・池田高校の『攻めダルマ』こと、
蔦文也監督のドキュメンタリー映画だ。
1992年までの40年間、池田高校一筋で監督を務め、
その夏春連覇含む優勝3回、準優勝2回。
1974年より金属バットが高校野球に導入されたことから、
超攻撃重視のチームを作り上げ、その打ち勝つスタイルは
池田高校のみならず、以後の高校野球そのものを変えてしまったと言われている。
池田が高校野球ファンに愛された理由は、豪快な野球に、
畠山準、水野雄仁ら後にプロ野球で活躍する選手が揃っていたこともあるが、
やはり蔦監督自身の親しみやすいキャラクターが大きい。
なんか、お爺ちゃん(お婆ちゃんにも見える)がユニフォームを着てノックしてる、みたいな、ほのぼのとした風貌で、なんとも言えない優しそうな雰囲気なのだ。
でも、きっと鬼のように厳しい練習をしていたんだと思う。
とても楽しみな映画、絶対面白いやつやん。
しかも無料上映

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by imag0020 | 2016-08-22 21:38 | 野球評判家
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DJ / 音楽評判家 / 80's洋楽王 / マットマートンファンクラブ / アイマグ編集長


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