追悼
こういう場に自分が影響を受けた存在について書く場合、
それはその(例えば)アーティストに何らかのアクションがあった時である。
作品のリリースだったり、ツアー開始だったり、再結成だったり、解散だったり。
しかし、それが「死」について書かねばならなくなった時、
自分がその存在からいかに影響を受けたかなんて事をスラスラ書いていると、
時として自分に酔っているような気分になり、自己嫌悪に陥る。
しかし、彼女に関してはあまりにも特別な存在ゆえ、
その偉大さについて触れておきたい。
アリ・アップこと、アリアナ・フォスターが亡くなった。
享年48歳。
1976年、ロンドンに吹き荒れたパンクロックムーヴメントに14歳の若さで
参加表明し、ガールズパンクバンドThe Slitsを結成した。
当時の映像を見ると、それは驚くほど稚拙な演奏で、リズムもドタバタ、
アリのヴォーカルも決して上手いとは言えない、
ただただ好奇心と初期衝動のみで結成したようなバンドだった。
しかし、発しているエネルギーはただ事ではない何かを感じさせてくれた。
プリミティヴなジャケで知られるデビューアルバム[CUT](79)は
英国レゲエの鬼才デニス・ボーヴェルがプロデュースした、
パンクとレゲエが見事に融合した名盤だ。
80年代に入ると、よりレゲエ・ダブ色の強いミュータント・レゲエ・プロジェクト
New Age Steppersに参加、ポストパンクの重要な存在となり、それはその後の
スミス&マイティ~マッシヴアタックらブリストルシーン誕生への源流となる。
↑NWS 1st. このアートワークもどんだけ影響受けたか
アリのレゲエへの取り組み方は大胆で、
クラッシュのような連帯感を叫ぶものでも、
ポリスのように計算された採り入れ方でもなく、
もっと本能的にジャマイカへの憧れを表現しているようだった。
スリッツは、ピストルズやクラッシュを目の当たりにした衝撃に突き動かされ
バンドを始めた訳だが、もしそれがサウンドシステムでビッグユースや
タッパズーキーを見ていたなら、バンドなんてまどろっこしい真似は止めて、
最初からアリはマイクを握ってシングジェイしていたのかもしれない。
そう想わせるほど、アリのレゲエへの傾倒は際立っており、
それはアリが表舞台から姿を消した後も生涯に渡って続いていた。
アリの出生はドイツであり、ポストパンクでの自身の役割を終えると
育った英国に執着することもなく、ニューヨークに渡り、
ラスタファリアンのジャマイカ人と結婚し、一児の母となる。
ニューヨーク~キングストンを行ったり来たりして、
本場のダンスホールに入れ込んでいたようだ。
2000年代に入ると、アリは、自身のバンドThe True Warriorsを率いて、
突如としてシーンに帰ってきた。
ポストパンク、ニューウェーヴ、ダブ再評価の中で
パンキーレゲエクイーン復活のニュースは話題となり、
スリッツ、ニュー・エイジ・ステッパーズの作品も国内盤で復刻された。
ほどなくして、アリアップ名義でのアルバムがリリースされ、
スリッツ当時ですら実現していない初来日を果たす。
セレクターを伴ったクラブでのパフォーマンスのみという、小規模なものだったが、
伝説の存在のインパクトは期待を上回るものだったようだ。
復活ライヴの反応に手応えを感じたのか、アリの活動は一気に慌ただしくなり、
日本のレベル・ファミリアなど、ゲストとしていくつかのアーティストの作品に参加したり、
ニューエイジステッパーズ新作の噂やスリッツ再結成といった情報まで聞こえてくるようになる。
そして、それは本当に実現した。
スリッツはオリジナルメンバーでの復活を発表し、ニューアルバムをリリース、
ニューエイジステッパーズのプロデューサーでもあった、UKダブ・シーン屈指の
エンジニア、On-Uサウンド総帥エイドリアン・シャーウッドとともに最高の形で
来日ライヴを行ったのだ。
初期スリッツよりも更にヘヴィなサウンドを披露し、従来の再結成バンドとは
明らかに一線を画した現在進行形のスリッツだった。
先述の通り、アリは十代でデビューしているため、再結成時でもまだ四十代と、
オリジナルパンクの中でも圧倒的に年齢も若く、
更なる今後の活動が期待できるものであった。
ここ数年はまたアリの情報が途絶えていたのだが、
まさかあの現役バリバリのダンスホールギャルみたいな風貌のアリが逝ってしまうとは。
スリッツ当時から伸ばし続けていたトレードマークのドレッドヘアは踝にまで届いており、
人は彼女をメドゥーサと呼んだ。
意外と知られていない事実だが、彼女の母親であるノラ・フォスターは
パンクロックのアイコンであるピストルズ、PILのジョン・ライドンと再婚しており、
現在もその関係は続いている。
ピストルズに憧れてパンクロックを始めたのに、その追っかけていた対象である
ライドンがある日を境に自分の義理の父親となる数奇な運命。
フェミニズムにも、音楽のルールにもとらわれることなく、自分達のやりたいように
表現したアリの生き様そのものがパンクロックの革命を象徴していた。
EARTHBEATも
Typical Girlsという名前も
スリッツの曲名からサンプリングしたものだ。
なぜ、スリッツだったのか、ここで説明は省略するが、
そこには僕なりの「夢の続き」に対する想いが込められていた。
ジョー・ストラマー同様、僕のアイドルがまた
一度も逢えることなくいなくなってしまった。
とても悲しい。
R.I.P. ARI UP
ポストパンクのスローガンでもある名タイトル「はじめにリズムありき」
NWSで1番大好きな曲
来週のラジオでトリビュートやります。
それはその(例えば)アーティストに何らかのアクションがあった時である。
作品のリリースだったり、ツアー開始だったり、再結成だったり、解散だったり。
しかし、それが「死」について書かねばならなくなった時、
自分がその存在からいかに影響を受けたかなんて事をスラスラ書いていると、
時として自分に酔っているような気分になり、自己嫌悪に陥る。
しかし、彼女に関してはあまりにも特別な存在ゆえ、
その偉大さについて触れておきたい。
アリ・アップこと、アリアナ・フォスターが亡くなった。
享年48歳。
1976年、ロンドンに吹き荒れたパンクロックムーヴメントに14歳の若さで
参加表明し、ガールズパンクバンドThe Slitsを結成した。
当時の映像を見ると、それは驚くほど稚拙な演奏で、リズムもドタバタ、
アリのヴォーカルも決して上手いとは言えない、
ただただ好奇心と初期衝動のみで結成したようなバンドだった。
しかし、発しているエネルギーはただ事ではない何かを感じさせてくれた。
プリミティヴなジャケで知られるデビューアルバム[CUT](79)は
英国レゲエの鬼才デニス・ボーヴェルがプロデュースした、
パンクとレゲエが見事に融合した名盤だ。
80年代に入ると、よりレゲエ・ダブ色の強いミュータント・レゲエ・プロジェクト
New Age Steppersに参加、ポストパンクの重要な存在となり、それはその後の
スミス&マイティ~マッシヴアタックらブリストルシーン誕生への源流となる。
↑NWS 1st. このアートワークもどんだけ影響受けたか
アリのレゲエへの取り組み方は大胆で、
クラッシュのような連帯感を叫ぶものでも、
ポリスのように計算された採り入れ方でもなく、
もっと本能的にジャマイカへの憧れを表現しているようだった。
スリッツは、ピストルズやクラッシュを目の当たりにした衝撃に突き動かされ
バンドを始めた訳だが、もしそれがサウンドシステムでビッグユースや
タッパズーキーを見ていたなら、バンドなんてまどろっこしい真似は止めて、
最初からアリはマイクを握ってシングジェイしていたのかもしれない。
そう想わせるほど、アリのレゲエへの傾倒は際立っており、
それはアリが表舞台から姿を消した後も生涯に渡って続いていた。
アリの出生はドイツであり、ポストパンクでの自身の役割を終えると
育った英国に執着することもなく、ニューヨークに渡り、
ラスタファリアンのジャマイカ人と結婚し、一児の母となる。
ニューヨーク~キングストンを行ったり来たりして、
本場のダンスホールに入れ込んでいたようだ。
2000年代に入ると、アリは、自身のバンドThe True Warriorsを率いて、
突如としてシーンに帰ってきた。
ポストパンク、ニューウェーヴ、ダブ再評価の中で
パンキーレゲエクイーン復活のニュースは話題となり、
スリッツ、ニュー・エイジ・ステッパーズの作品も国内盤で復刻された。
ほどなくして、アリアップ名義でのアルバムがリリースされ、
スリッツ当時ですら実現していない初来日を果たす。
セレクターを伴ったクラブでのパフォーマンスのみという、小規模なものだったが、
伝説の存在のインパクトは期待を上回るものだったようだ。
復活ライヴの反応に手応えを感じたのか、アリの活動は一気に慌ただしくなり、
日本のレベル・ファミリアなど、ゲストとしていくつかのアーティストの作品に参加したり、
ニューエイジステッパーズ新作の噂やスリッツ再結成といった情報まで聞こえてくるようになる。
そして、それは本当に実現した。
スリッツはオリジナルメンバーでの復活を発表し、ニューアルバムをリリース、
ニューエイジステッパーズのプロデューサーでもあった、UKダブ・シーン屈指の
エンジニア、On-Uサウンド総帥エイドリアン・シャーウッドとともに最高の形で
来日ライヴを行ったのだ。
初期スリッツよりも更にヘヴィなサウンドを披露し、従来の再結成バンドとは
明らかに一線を画した現在進行形のスリッツだった。
先述の通り、アリは十代でデビューしているため、再結成時でもまだ四十代と、
オリジナルパンクの中でも圧倒的に年齢も若く、
更なる今後の活動が期待できるものであった。
ここ数年はまたアリの情報が途絶えていたのだが、
まさかあの現役バリバリのダンスホールギャルみたいな風貌のアリが逝ってしまうとは。
スリッツ当時から伸ばし続けていたトレードマークのドレッドヘアは踝にまで届いており、
人は彼女をメドゥーサと呼んだ。
意外と知られていない事実だが、彼女の母親であるノラ・フォスターは
パンクロックのアイコンであるピストルズ、PILのジョン・ライドンと再婚しており、
現在もその関係は続いている。
ピストルズに憧れてパンクロックを始めたのに、その追っかけていた対象である
ライドンがある日を境に自分の義理の父親となる数奇な運命。
フェミニズムにも、音楽のルールにもとらわれることなく、自分達のやりたいように
表現したアリの生き様そのものがパンクロックの革命を象徴していた。
EARTHBEATも
Typical Girlsという名前も
スリッツの曲名からサンプリングしたものだ。
なぜ、スリッツだったのか、ここで説明は省略するが、
そこには僕なりの「夢の続き」に対する想いが込められていた。
ジョー・ストラマー同様、僕のアイドルがまた
一度も逢えることなくいなくなってしまった。
とても悲しい。
R.I.P. ARI UP
ポストパンクのスローガンでもある名タイトル「はじめにリズムありき」
NWSで1番大好きな曲
来週のラジオでトリビュートやります。
by imag0020
| 2010-10-22 19:41
| 大地の音紀行外伝