素材
1995年のエア マックス
小澤匡行 著 (中公新書ラクレ 735)
ファッション界を席巻するスニーカー。
人気アイテムは国境を越えての争奪戦が起き、定価の数十倍で転売されるようになった結果、アメリカはもちろん、中国や中東など各国で富裕者層の所有欲求を満たすアイコンに。
ネットにはスニーカーにまつわる情報が溢れ、株式のごとくリアルタイムで売買するマーケットまで成立した。『Boon』(祥伝社)や『UOMO』(集英社)で編集を務め、その栄枯盛衰を見てきた小澤氏は、その状況を見て「それはもはや私たちが知っているスニーカーではない」「ターニングポイントは日本で大ヒットしたナイキ『エア マックス 95』だった」と指摘する。業界の第一人者で、著書『東京スニーカー史』(立東舎)も好評を博した著者はこれまで、そしてこれからのスニーカーの行方をどう考えているのか? NBA、ヒップホップ、裏原宿、SNS――。スニーカーの先に、世界はある。
面白い内容だった。
1995年のエアマックスというタイトルだが、
エアマックスのことだけを書いている訳ではない、
NIKEを軸にスポーツはモチロン、ファッション、カルチャー、音楽、あらゆる視点からスニーカーの現象を捉えている。
僕のNIKE愛は昨年綴っているので参照されたし。
「僕の好きなジョーダンは4まで。
同じくクラシックと言われているエアフォースシリーズにも全く興味なかったし、一世を風靡したエアマックスなんかダサいと思ってた。」
読み返すと偉そうに書いているが、
実際エアマックスもエアフォースも、
どちらも履いたことはない。
特にエアマックスは、当時もなんでそんなに流行ってるのか全く理解できなくて、
社会現象となった「エアマックス狩り」なんて
あんなダサいの履いてて狩られたら、たまったもんじゃないな、とまで思ってたくらい、
僕には受け入れられないデザインだった。
ただ、エアマックス95もジョーダン同様、
日本のマーケットで火が着くのにタイムラグがあって、
当初は一部の早い人達以外の反応がいまいちだったようだ。
ショップ側も売れるかどうか不安だったのだろう。
仕入れを抑えていたことが結果として市場での品薄を呼び希少性を高めたと書かれている。
僕なんかから見たら、
「雑誌『Boon』とか読んでる層にウケてるスニーカー」
っていうざっくりとした括りで捉えてたけど、
そもそもエアマックスのイエローは広末涼子がdocomoのCMで履いてたのが爆発した要因っていうのがスニーカー好きの定説になってて、
その『Boon』の表紙は極端に言えば毎号広末だったような印象あるし、毎号スニーカーや古着の特集やってたような。(実際は違うんだろうけど読者じゃなかった自分にはそんな感じ)
通称「アップタウン」ことエアフォース1、
特にホワイトはみんな一度は通るような大定番だろうけど、どうにも自分の服装に合わないような気がして一度も手を出していない。
あれこそ何にでも合うスニーカーと言われてるけど。
まぁ、基本的にシンプルなのが好きなので、
本来は嫌いじゃないけど僕には90年代B-Boyのファットなシルエットのイメージが強すぎて。
コレ履くならadidasスーパースターあるしって感じで。
もう一つ、90年代スニーカーで当時は全くピンとこなかったのに、後から評価を改めたものが幾つかあって、
その中の代表格が、NIKE ACG AIR MOC
シルエットは可愛いけど、なんかスニーカーって感じがしないなって思ってた。
それが、何年か後にアメリカ買い付けに行った時に俊美さんが、このエアモックの霜降りグレーを履いてて、
それまでヌバック素材の茶色や黒しか見たことなかったけど、この素材と色がめっちゃイイ!って。
それで急に欲しくなって、真似して同じ霜降りを探してみたけど何処にも売ってない。
そしたら、ある日、当時FMで僕の番組のディレクターをやってた子が同じエアモックを普通に履いてて、
エー!なんで⁉︎って軽くショックを受けて。
めっちゃ探してたスニーカーをこんな身近な奴が普通に履いてて腹が立った笑
コイツと被るならやめようかな?と思って、
しばらくはエアモックの事を忘れてたけど、
その後ロンドンに買い付けに行った際に訪れた
カムデンマーケットで黒人ディーラーが出店してたショップでついに発見!
サイズがちょっと大きくて迷ったけど、まさかロンドンに来てNIKEを買うなんて思わないし、
これは運命的な出逢いだと思い、粘って値切って購入。
嬉しくてホテルの近所で履いてみたりして、それから数年間愛用してました。
最近また思い出したように欲しくなって時々検索してみたりするけど、サイズとコンディションが良いものがなかなか見つからない。
復刻してほしいなって思う。