
Natsu Summer
"Hello, future day" Release Party
2017/08/27/SUN/open 15:00
@ buenavista
Live + DJ
ナツ・サマー
クニモンド瀧口(流線形)
DJ カマタヒロシ
with
SNUG
TOKNOW
マイケル
SEKI(JOEU-FM)
IKEPON
adv. 2,000 yen.(ドリンク別)
ブエナビスタ
愛媛県松山市梅津寺町1329
09059169101
伊予鉄道高浜線梅津寺駅下車徒歩2分
梅津寺駅から294m
*駐車場は梅津寺公園の駐車場(300yen./Day)をご利用ください。
ナツサマーがファーストアルバムを引っ提げ1年ぶりに凱旋!
ついにプロデューサーの流線形クニモンド瀧口氏も初登場!
梅津寺の海の家的なカフェ『ブエナビスタ』にて!
ローカルDJも異色な顔触れが揃ってます!
最高のロケーションに最高の音楽!
チェックされたし!

*こちらは自分が描いたマヌ風手描きヴァージョン。アイマグ限定公開。
鮎川誠 生誕69年アニバーサリー!
47 ROKKET RIDE TOUR 2017
@ LIVE HOUSE SALON KITTY MATSUYAMA
8月18日(金) 松山サロンキティ
DJ カマタヒロシ

シーナ&ロケッツ47都道府県・四国ツアー
『1978年の初ステージ以来、
日本のロックシーンで抜群の信頼感、
鮎川が69歳になる今もまったく衰えることはない。
2015年2月14日シーナが急逝するも、
現在、鮎川がヴォーカル・ギターを担い、
と、言うわけで、緊急決定
8月18日の松山ライヴにて、
オープニングDJをやらせてもらうことになりました!
いやー、まさかです。
ライヴ会場でのDJも数えきれないほどやってきましたが、
やはり同世代のアーティストやバンドの現場ばかりでした。
でも、今回はまさかのレジェンド!
僕がシーナ&ロケッツ(以下シナロケ)を初めて聴いたのは、
『レモンティー』だとばかり思っていた。
僕と年齢の近い人はスネークマンショーで
僕の中でシナロケはめんたいロックの系譜ではなく、
YMOファミリーと捉えていたな。
アルファレコードからリリースしていたし。
『ユー・メイ・ドリーム』は言うまでもなくクラシックですが、
DJとしてはシングルB面の『Lazy Crazy Blues』も
ニューウェーヴダブみたいで最高にカッコいい。
鮎川さんとシーナさんって、
お二人とも日本人離れした反則ルックスというか、
この人たちがバンドやらないと嘘だろうって感じ。
今でこそサングラスじゃなく
眼鏡かけてるロッカーなんて幾らでもいるけど、
やはりバディ・ホリー、エルヴイス・コステロ、鮎川誠が
僕の中で3大黒縁メガネロッカーですよ。
そういえば、ストーンズの初来日の時に東京ドームで、
どんな客が観に来てるんやろ?
ってスタンド席から眺めてたら、
一際カッコいい人がいて、
居るべき人がホントにそこにいて嬉しかった。
今回、松山の会場のお客さんがDJを受け入れてくれるのか
僕なりのロックでオープニングアクトを務めたいと思ってます。
そもそもオーディエンスより
鮎川さんを意識して選曲するけど(笑)
こんな機会もなかなか無いので是非みんな集まってほしいです。
チケットもお問い合わせください。
『HOTTEST NEO CLASSICS』
おかげさまで盛況の内に幕を閉じました。
お越しいただいた皆様に感謝申し上げます。
焦点も分散していたと思いますが、
蓋を開けてみると主役はやはり座長クボタタケシでした。
あの堂々とした佇まいに改めて脱帽。
何十年も松山にやって来ていて、
松山のお客さんにウケる曲なんていくらでもあるにも関わらず、
結果ずーっとフロアでお客さんが踊り続けるという、
これぞ座長の風格、銭の取れるDJとはこの事。
DJは誰しも限られた時間の中で早くお客さんを
そんな焦りを見せない圧巻の仕上がりでした。

(ちなみに僕は5皿でした)
僕はバテ気味でレコード掘りもそこそこだったので、
7インチと寿司の皿の数は比例するんだと思い知らされた次第です。
あー、この男には勝てんわ、
と、心底思いましたね。
リアルモンスターでした。
話は戻って、僕は今回露払いに徹したので
ノリ君も含めてジャンルもスタイルもバラバラな選曲のDJ、
変な物言いですが久しぶりに
「クラブらしい」雰囲気だなーと感じましたね。
シンコちゃんのDJもホント良かった。
普段はお爺ちゃんみたいなのに(笑)
DJしてる姿はカッコいい。
本人も楽しそうで何よりでした。

『ミクロボーイとマクロガール』
を誰もかけそうにないので、
シンコちゃんの2回目のセットの際に
「せっかくだからかけなさいよ(苦笑)」
と、促したら、
「確かにこのタイミングしかないね!」
と、シンコちゃんからクボタに手渡していた
正直ここ最近はテンションも落ちていて、
クボタ一座とシーザースタッフ、お客さんのお陰で乗り切れました。
実は2日経ってるのに、
Timetable
21:40-22:20 森ラッピン
22:20-23:00 SHINCO-SDP
23:00-23:40 クボタタケシ
23:40-24:20 Nori
24:20-01:10 クボタタケシ
01:10-01:50 森ラッピン
01:50-02:30 SHINCO-SDP
02:30-03:10 カマタヒロシ
03:10- 未定

今回はアーリータイムから楽しめる各DJツーステ!
このメンツ、およそ我々の嗜好するカッコイイ音楽の
全てが味わえる最強ラインナップだ。
前半戦トリと後半戦トップのクボタに挟まれてしまった
シーザーNori君のハーフタイムDJもチェックされたし!
これが各地方のオーガナイザーとクボタタケシとの間で交わされる
搭乗時間も遅い時間になってくると、
限られた窓際席を確保するのが困難になる時も多い。
普通に窓際を希望する乗客の方が多いからだ。
何十年も毎週末地方にDJに行くことを生業にしている男が
飛行機嫌い (または飛行機が恐い)
だから窓際じゃないと嫌だ。
それで今までやってこれたことも凄い。
少々時間がかかっても東京から新幹線(または他の陸路)で
さすがに四国は遠すぎる。
余談だが20年前にクボタが飛行機の最終便に乗り遅れて
その時は本気でフェリーか何かで松山まで行けないか
最終便搭乗予定だったから、
その時点で18時頃だったが、
仮に東京からフェリーで松山に来たとして
一体何時に松山に到着するのか?
間違いなくクラブの営業時間内には着くことはないだろう。
(結局ドタキャンになった)
実は飛行機が嫌いだというDJやアーティストは意外に多い。
と言っていた。
クボタは窓から外が見えてないと不安になるらしい。
捉え方はそれぞれだ。
飛行機が嫌いなのは仕方ない。
僕もそれほど好きではないが
乗らないと行けないんだから仕方ない。
しかも、海外に10数時間かけて行くのではない。
たかだか国内線、羽田~松山の所要時間は約90分ほどだ。
窓際だろうが通路側だろうが前方席だろうが後方席だろうが、
スーパーシートだろうが乗ってる時間は平等だ。
寝てりゃ一瞬だと思うが、
事はそれほど単純な問題ではないらしい。
とにかく窓際じゃないと無理なんだ、と。
ゴルゴ13のように特殊な職業の人は仕事に対するルールにも
クボタの場合それが窓際席というだけなのだと理解はしている。
しかし、今回もシーザーの店長ノリ君は窓際確保に奔走していた。
華やかなダンスフロアの光の影に、
お客さんは会場に来るのに、
電車かタクシーか、自転車か徒歩か、
せいぜい数十分であろう。
命懸けで松山にやってくるDJに比べれば気楽だ(笑)
その事を踏まえて土曜日はみんなシーザーに集まってほしい。
いや、踏まえなくてもいいか。
これは英国のシンガー、ポールヤングが1982年にリリースしたシングル。
(オリジナルはフォートップス、1967年)
ポールヤングが本格的にアメリカでヒットするのは2ndアルバム以降だが、
日本盤もリリースされていたことからよく聴いていた。
このアルバムはカヴァー曲が多いのが特徴で、
マーヴィンゲイの"Wherever I Lay My Hat (That's My Home)"や、
さっきのフォートップスなんかはポールヤングのソウルフルなヴォーカルにピッタリはまっている名カヴァーだった。
意表をつかれるのは、なんとジョイ・デイヴィジョンのカヴァー

これがまた素晴らしい。
正直言って僕は当時まだジョイ・デイヴィジョンを聴いたことなかった。
後になってジョイ・デイヴィジョンを聴くようになり、
「アレ?この曲ってポールヤングの!?」って驚いたものだ。
僕の中のポールヤング像とジョイ・デイヴィジョンが全く結びつかなかったから。
さっきジョイ・デイヴィジョンの原曲の動画を見ていたら、
久しぶりにポールヤングの方も聴きたくなって
思わず懐かしくて見入ってしまったが、
このカヴァーも後にレゲエを聴くようになった時に、
ニッキー・トーマスというシンガーが1970年に
同じように「アレ?この曲ってポールヤングの!?」って思った。
改めてこのポールヤングのカヴァーを聴いてみると、
ちょっとレゲエ風にも聴こえなくもないというか、
きっとポールヤングもフォートップスではなくてニッキートーマスのヴァージョンがちょうど10代の頃にヒットしていて聴いていたんだろうな、
なにしろ、この辺りの初期レゲエは普通に英国シングルチャートの上位に入っていたし。
と勝手に想像して、なんとなく嬉しくなったりした。
すると、PVの曲の中盤でポールヤングの後方にいる
あれ?と思ったら間奏のトロンボーンのソロシーンで、
リコ・ロドリゲスが映った!
当時、このPVを見る機会がなかったし、
見ていたとしても気付きようもないのだが、
そもそも、あれだけ聴いていたのにリコが客演していたことすら
ザ・メンバーズやイアン・デューリーの作品にも参加しているし、
数々のルーツ・ロック・レゲエの名作にリコの名がクレジットされているものもファンとして見逃さないようにしていたつもりだが、
まさかのポールヤングとは。
さっき「ちょっとレゲエ風にも聴こえなくもない」と、書いたが、
別にモロにレゲエって感じの曲でもないのに、
リコにオファーしていたポールヤングのセンスがスゴイ。
元々好きだったこの曲がリコ関連作になったのは嬉しい発見だ。
アルバムしか持ってなかったけど早速シングル探してみよう。
上田利治氏が1日に死去。
享年80歳。
監督通算1322勝は歴代7位
2003年には野球殿堂入りを果たしている名将だ。
僕の幼少期のプロ野球界は、
パリーグ6球団の内の半分
阪急ブレーブス
近鉄バファローズ
南海ホークス
が同じ関西エリアに本拠地を置いていた。
セリーグの阪神タイガースも含めると、
4球団のオーナー全てが在阪私鉄会社だった。
他にも僕が生まれる以前にあった、
国鉄スワローズ(現 東京ヤクルト)、
東急電鉄の東急フライヤーズ(現 北海道日本ハム)、
西日本鉄道の西鉄ライオンズ
(これは後に西武鉄道グループによる西武ライオンズになる)
と、鉄道会社所有球団が圧倒的に多かったのだ。
球場にお客さんが満員でって
光景に慣れてる世代には、
信じられないような閑古鳥の鳴く球場ばかりだった。
やはり、人気面ではセリーグに所属する阪神が圧倒的で、
他の3球団が束になっても敵わなかったのだ。
僕は、その4球団全て好きだったのだが、
小学生の頃、初めて観戦したのは、
大阪球場での南海対近鉄だった。
まだ野村克也さんが南海の監督兼4番キャッチャーの頃。
なんば駅の裏という大阪のど真ん中に球場があっても
ガラの悪いヤジもウケ狙いのヤジも全部選手に届くほど。
現代なら地方の独立リーグでも、
当時のパリーグよりもお客さん入って盛り上がっていると思う。
とは言え、近鉄には野球ファンに語り継がれるドラマティックなシーンが何度もあったし、
南海なんて水島新司先生の
『あぶさん』のお陰で、
実際の選手の顔より作品で描かれた顔を記憶していた。
(選手だけじゃなくて裏方スタッフのことまで詳しくなったり)

各チームのカラフルなユニフォームも好きだったし、
それぞれのエース投手も魅力的だった。
少なくとも西武ライオンズの黄金期が訪れるまでは、
関西3球団がパリーグの主役だったように思う。
中でも阪急は特に強かった。
上田監督就任2年目の1975年は、
球団創設26年目にして悲願の初優勝で熱狂的な赤ヘルブームを巻き起こした広島東洋カープを相手に日本シリーズを制し、
翌1976年は、長嶋茂雄監督初の優勝で勢いに乗る巨人を相手に4勝3敗、
翌年再び巨人とのシリーズでも4勝1敗と寄せ付けず、
3年連続日本一を達成した。
僕が野球に興味を持った頃、
セリーグの覇者は阪急には通用しなかったのだ。
僕は父親や親戚のおじさんに
よく球場に連れて行ってもらっていたのだが、
なぜか阪神甲子園球場よりも
同じ西宮市にある阪急西宮球場に行くことが多かった。

シカゴのリグレーフィールドを模して設計されたらしい。
僕の敬愛する江夏 豊投手が
1971年のオールスターゲームでパ・リーグの錚錚たる強打者を
まるで漫画のような伝説的なシーンもこの球場での出来事だ。
ちなみに僕が最後に同球場を訪れたのは仕事で行った
Bon Joviのライヴ(笑)で、
調べてみると1995年5月16日、
その年に起こった阪神大震災の復興支援ライヴだった。
小雨の降る中でのライヴだったが、
球場に着いた瞬間から子供の頃の記憶が甦り、
懐かしさでボンジョヴィとは無関係に感動していたのを思い出す。
阪急がオリックスに身売りし
西宮球場も使われなくなり、
翌96年には同球場で最後のプロ野球公式戦が開催されたそうなので、
あれが僕にとっては西宮球場に行けた本当に最後のチャンスだったようだ。
話は逸れたが、西宮球場では
阪急の開幕戦をよく観た。
毎年、開幕のマウンドには必ず大エース山田久志が立っていた。
何しろ山田は1975年から1986年まで、
そのため、僕が何度か観戦した開幕戦も正確な年が特定できないのだが、1976,77年頃だったのではないだろうか。
福本豊、加藤秀司、マルカーノ、ウィリアムス、蓑田浩二、
球場で買ってもらったサイン入りブロマイドはずっと大事に飾っていた。

1976年頃らしい。上田監督のサインが中央下。

レゲエのTROJANレーベルのマークに似てる。
時を経て親会社は阪急阪神ホールディングスとなり、
オリックスブルーウェーブも近鉄バファローズと合併し、
南海はダイエーに買収され九州に移転、現在はソフトバンクとなった。
阪神だけがその冠を残していることになる。
オールドファンから当時を知らない世代まで好評となっているようだ。