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[ 2017-10 -23 01:13 ]
俳優であり元プロ野球選手でもあった、
橋本 力(ちから)さんが83歳で亡くなったというニュースが。
橋本力と聞いても誰やねんって人も多いだろうが、
個人的にあまりにも興味深い、特別な経歴を重ねた人物だったのだ。
まず、毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズの前身球団にあたる)の外野手として、今から半世紀前のパリーグでそこそこ活躍。
1957年にはレギュラーとして100試合以上に出場しており、
35勝、防御率1.37という驚異的な成績を挙げMVPを獲得した西鉄ライオンズの大エース稲尾和久らと対戦している。
しかし、その後は2軍生活も多くなり、
毎日オリオンズ球団の親会社が映画会社の
大映と合併し大毎オリオンズになったことから、
現代では考えられないことだが、
現役選手なのに野球関連の内容を扱った作品にアドバイザー兼選手役で出演させられている。
しかも、その撮影中にアクシデントで負傷してしまい、
そのまま現役を引退してしまうことになる。
その映画が実質的な俳優デビューとなり、俳優の道に転身した変わり種なのだ。
そして、橋本さんの当たり役となったのが、
1966年(昭和41年)に大映が製作・公開した日本映画の特撮時代劇
『大魔神』シリーズ三部作への出演だ。
現在で言うスーツアクターなのだが、顔の部分は特殊メイクのみ。
あの血走った印象的な大魔神の眼力は橋本さんの眼そのものなのだ。

その後はあの勝新太郎に可愛がられ
勝プロに所属し『座頭市』など様々な映画に出演、
その勝プロから派遣される形で出演した香港映画で世界中に存在を知られることになる。
『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)
(原題 精武門 英題 Fist of Fury)
そう、ブルース・リー主演2作目の作品に、
日本人柔道場主 鈴木という悪役で出演したのだ。
この時点ではリーの映画がまだ日本では公開されておらず、
何の予備知識もないまま派遣されたそうで、
台本も何もなく、ただただリーの敵役を演じたらしい。
そもそも橋本さんは日本で公開されるような作品になるとも思っていなかったんだとか。
当時よく日本で公開できたなと思うほど、とにかく日本人は徹底的に悪者として描かれている。
(実際、日本公開版では一部のシーンがカットされている)
なにしろ映画専門誌『映画秘宝』が
「映画秘宝 オール・ジャンル・ランキング
どこの映画雑誌も手を出さない禁断の映画ランキング」
を2011年2月号で発表しているのだが、
その中の「今こそ観たい反日アクション映画」
ランキングで『怒りの鉄拳』が堂々1位に選出されていたほどだ。
ちなみに、この雑誌の別冊ムックとして発売された
『ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進!』(1996年)に、
橋本さんのインタビューが掲載されていて、僕は初めてそんな日本人がいることを知った。
特にリーが日本人道場に殴り込み、大量のザコキャラを蹴散らした後の橋本さん演じる鈴木とのヌンチャク対日本刀の殺陣は見もので、
なぜか日本人がやられてるのに観てて痛快でもあった。
かくして橋本さんはリーと作品で共演した非常に珍しい日本人俳優となったのだった。
しかも、後日談として、劇中で橋本さん演じる鈴木が、リー演じる陳真の飛び蹴りを受けて障子を突き破るシーンは、スタントマン時代のジャッキー・チェンが演じていたことも掲載されていて驚かされた。
つまり、無名時代のジャッキーは、橋本さんのスタントでチャンスを掴んだのだ。
橋本さんは期せずしてリーとジャッキーという二大カンフー・スターの重大な接点に関わっていたことになる。

別の二大スター ジャッキー(ミットウ)とリー(ペリー)
ちなみにリーは座頭市の大ファンで、座頭市からインスパイアされた盲目の主人公の作品を撮る企画もしていたらしく、その辺りも勝新に日本人俳優をキャスティング依頼した理由になっているのかも。
野球選手として稲尾らと対戦し、役者として大魔神になり、
座頭市に斬られたり、
リーに蹴られたりと、
野球以外は自分から望んだことでもないのに誰にも真似できない数奇な人生を歩んだ橋本さん。
早々と80年代に俳優業を引退していたそうだが、もし続けていたら90年代のタランティーノ作品なんかにもお呼びがかかかっていたのではないだろうか?