東音夜市 vol.3
今年3回目を迎える「東音夜市」
今年は出店数も増え、
ますます美味しく心地よい音楽と美しい花火と共に、
東温市の魅力をぜひ味わってください!
お待ちしております!!
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◼︎日時 2018年8月25日(土)
小雨決行 / 入場無料
16:00~22:00(フードは21:00まで)
◼︎場所 イタリア料理OTTO
Add 東温市北方3355-4
TEL 089(960)6033
◼︎コンセプト
”花火と音と美味しいモノたち”
花火を観ながら、音楽に聴き入り、素敵なモノと、
東温食材を使用した美味しい食べモノとドリンクを楽しむ、
ちょっぴり大人な夜市。
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▶︎FREE LIVE◀︎
<Live artist>
◼︎ASUKA ANDO (アンドウ アスカ)
メロウなムードのLoves Rock Reggaeシンガーの心地よい歌声に酔いしれてください。
◼︎SASUKE (サスケ)
15歳の現役中学生トラックメイカー!!!
DJにダンスに才能溢れるパフォーマンスをお楽しみください。
▶︎SPECIAL DJ◀︎
◼︎カマタヒロシ
◼︎関 ちさと
◼︎カタヤマダイスケ
◼︎T.K.sound
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▶︎SHOP LIST◀︎
◼︎ar franc (当日ヘアアレンジ)
◼︎USHIO CHOCOLATL (向島 チョコレート)
◼︎OTTO (東温イタリアン)
◼︎からあげ工房 KUKU(揚げたて唐揚)
◼︎惣菜工房 やの家 (美味しいモノ)
◼︎東温食材研究会 (生ビール)
◼︎ねいろ屋(無添加かき氷)
◼︎NOGISU(美味しいモノ)
◼︎藤川タロット(当たる⁉︎占い)
◼︎Bitter & Sucre (オシャレ日用品)
◼︎Pettirosso(東温イタリアン)
◼︎marui+(CD 飲みモノ)
◼︎Yamatoya Bake (パン 美味しいモノ)
◼︎RISE & WIN BREWING Co.
(徳島クラフトビール)
◼︎Lilac Day's cafe (エスニックカレー)
◼︎rodan caffe (自家焙煎コーヒー)
◼︎ROPPONGI (美味しいモノ)
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※アクセス
専用の駐車場はございません。
アルコールの販売もございますので、
公共交通機関をご利用ください。
※伊予鉄 河原町駅より徒歩約10分
※伊予鉄バス 横河原バス停より徒歩10分 /または茶堂前にて徒歩5分
※同日、重信川沿いで「東温市 観月祭」が開催されています。間近で感じる壮大な花火に、沢山の地元のお店に露店も出店され、イベントも盛りだくさんです!ぜひぜひ、こちらもお楽しみください!!
尚、当日は11号線が大変混み合う事が予想されますのでお気をつけてお越しをください。
3回目!
1回目から毎年声をかけてもらってますが、
僕のDJだけじゃなく、
なかの綾、ナツサマーのライヴもあって、
しかも花火をバックに楽しめるという素敵なロケーションで好評でした。
今年は誰のライヴなのかな?と思ってたら、
なんとアスキーこと asuka ando が!
これほど毎年関係あるアーティストばかり続くのも面白い。
僕は企画に関わってないんですけどね。
いやー、ありがたいことです。
毎年スタッフさんの準備~設営~撤収の大変さを見てるのでホント頭が下がる想いです。
とりあえず!
アスキーのライヴは観た方がいい!
今年1月にリリースされたアルバム
『あまいひとくち』は、
文句なし2018年を代表する一枚。
シングルカットされた曲以外にも、
とにかく良い曲ばかり入ってるから。
リリックもヴォーカルも好き。
あっという間に終わって何回も聴いてる。
前回リコスウィーツで演った時は
アリさんとのアコースティックライヴで、
『Choose Me』なんか特に最高でした。
だけど今回はよりアスキーのレゲエマナー、
つまり本領を発揮できるラバダブセット!
以前、僕がセレクターを務めてシーザーでやったライヴが楽しかったので、
今回も楽しみです。
個人的には「ハイ、ライヴやりまーす」って始まるより、
選曲の流れの中で自然とラバダブが始まっていくスタイルが好きなんですけど、
なかなかリハをキチンとやれる時間が無いので
その辺を上手くやりたいなと。
僕以外のDJも馴染みの連中ばかり。
よく考えたら『渋谷系』と同じ顔ぶれやん!
ちなみに翌日もズッケロさんでライヴあり、そちらもどうぞ。
アレサフランクリンが亡くなった。
いや、ここはやはり尊敬する
ピーターバラカン先生から教わった通り
「アリーサフランクリン」の発音で統一しよう。
僕らの世代は
映画『ブルースブラザーズ』で
アリーサの存在を知った人が多いと思うのだが、
80s洋楽王の僕としては、
80年代の様々なアーティストとの共演で「本人登場」
「女王降臨」みたいな扱いになってた頃の印象が強い。
『Jumpin' Jack Flash』のカバー(1986年)は
当時ディスコでよくかかってたし、
ジョージマイケルとの『愛のおとずれ』
"I Knew You Were Waiting (For Me)" (1987年)
は、全米1位の大ヒットなり復活をアピール、
ユーリズミックスと共演した
"Sisters Are Doin' It for Themselves"
もヒットして、よくPVが流れてた記憶ある。
他にもエルトンジョンとか主に英国のミュージシャンが
彼女を起用していたことが判るが、
ヒップホップがメインストリームになってきた80年代中盤以降、自分達のルーツをこういう形で表現するアーティストが増えたんだと思う。
JBなどもそうやって80年代に復活できた一人だし。
特に女性シンガーにとって大きな指標であり続けたアリーサ。
ホイットニーもローリンヒルもメアリーJもみんな彼女の恩恵を受けて歌ってきたと言っても過言ではない。
僕はそうやって洋楽ヒット曲としてのアリーサしか知らず、
ソウルミュージックやファンク、R&Bなんて全く理解していなかったので、
DJを始めた頃は、それこそ教科書の1ページ目に載ってるようなモータウンやアトランティックのベタなコンピや再発盤を片っ端から聴いていき、
その中からアリーサの『Respect』や『Rock Steady』
などを好んでかけるようになり、
自分のスタイルを形成していった。
アルバム『Young Gifted and Black』(1972年) は、
ジャケがボロボロになってセロハンテープで補強しまくったな。
アリーサの作品を広く掘り下げるより、このアルバムを何百回も聴いた方がいい、それくらいの名盤だと思う。
ホッテストヒッツのミックステープに収録してるはず。
最近だとアスキーもライヴで『Day Dreaming』をカバーしてて、キャットボーイズにフィーチャーされた7インチのB面に入ってた。
来週は追悼の意を込めてアスキーに歌ってもらおうかな。
ランディ・メッセンジャー
~すべてはタイガースのために
(洋泉社)
阪神タイガースのエース、
メッセンジャー初の著書が発売。
2010年に来日し、
なんと今季在籍9年目!
これは球団の歴代外国人選手の在籍期間として最長記録であり、
来季からは外国人選手枠から外れ日本人選手扱いとなる。
もはやチームにとって必要不可欠なベテラン選手であり、
投手陣のリーダー的存在である。
マリナーズ時代にバッテリーを組んだ城島健司捕手からの推薦もあり、
リリーフ投手として期待され移籍してきたメッセンジャー。
最強リリーフトリオJFKの一角として活躍し
ファンからも愛されたジェフウィリアムスの背番号54を継承したことでハードルが上がってしまった感はあったが、
まさかこれほど長く活躍する選手になってくれるとは思わなかったです。
チームもこれほどの功労者に終身雇用で引退後もコーチとして残るくらいの契約を結んでほしいものです。
メッセは僕の好きなマートンとも非常に縁の深い選手。
2人とも同じ1981年生まれ。
フロリダマーリンズ時代には当時シカゴカブスにいた
マートンのメジャーデビュー戦で対戦、
2010年に揃って阪神に移籍してきた両者。
この著書の中にもマートンの名前はちょこちょこ出てきます。
例えばキャンプ地で宿泊先のホテルの朝食に出てくるオムレツとベーコンをアメリカ人好みの調理法にしてくれとマートンと共にアピールし続けた「朝食 超変革」の話など、
あまり書くとネタバレになるので是非手に取って読んでみてください。
個人的には両者揃って在籍していた
2010年から2015年が最高でした。
2人とも投打の主軸として活躍し、
2014年のシーズンではメッセンジャーが最多勝、
マートンが首位打者のタイトルを獲得し、
チームのポストシーズン進出に大いに貢献しました。
なにより2人ともファンサービスの面でもチーム随一だったことも忘れられません。
マートン同様メッセにも何度もサイン貰いましたよ。
これからも長く活躍してほしい。
メッセは来日してから大のラーメン好きになり、
大阪はモチロン、東京、広島、名古屋など遠征先各地に
お気に入りのラーメン屋があるらしく、
先発登板前夜は必ずラーメンを食べることにしているらしい。
それは地方都市でも同じで、
数年に一度しか来ないような松山でも僕の知り合いのラーメン屋に足を運んでいる。
僕が行くと「メッセンジャー来ましたよ」
って自慢されるので行かなくなりました 笑
甲子園でしか食べられないメッセプロデュースのラーメンも食べてみたいなと思っている。(「メッセ盛り」は無理だと思う)
最後に、
今日はメッセンジャーの誕生日
ハッピーバースデー、メッセ!
内海利勝&ザ・シマロンズ
『GEMINI PART I』
キャロルのギタリスト、ウッチャンこと内海利勝が
バンド解散から半年後の1975年11月にフィリップスから
リリースしたファースト・ソロ・アルバム。
英国のレゲエ・バンド、シマロンズがバッキングを務めた
ジャパニーズ・レゲエ・ロック隠れた名盤がCD化!
しかもユニバーサルの『入手困難盤復活!! 再評価されるニッポンの名作1000』シリーズより、なんと1,000円!
この盤は完全にDJのお陰で再び陽の目を見ることになったと言えるだろう。
再評価っていうか、当時は全く売れなかったんじゃないか?
だってキャロル解散から半年ほど、
矢沢のソロデビューが2ヶ月ほど早い、
1975年9月21日リリースの『I LOVE YOU,OK』。
矢沢だってキャロルと全く違う路線に転じて
ファンの期待を敢えて裏切った結果、
当初はかなり酷評されたと言われているし、
矢沢より少し早くジョニー大倉もデビューしているが、
最もバンド内で地味な存在だったウッチャンがソロアルバム出しただけでも意表を突いてるのに、内容がまさかのレゲエ!
キャロルファンがレゲエを理解できないとか、そんなんじゃなくて、もうファン、アーティスト関係なく当時の日本の音楽シーンでレゲエをキチンと理解してた人自体がかなり少数派だったと思う。
ジョー山中がウェイラーズとアルバム作ったりするのも82年とかだし、
ボブマーリーが来日するのも1979年だから、
やはり、1975年に日本のミュージシャンが、
レゲエバンドをバックに本格的にレコーディングしていた事実に驚きしかない。
エリッククラプトン ‘"I Shot the Sheriff" のカバーが、
その前年に大ヒットしているので、
その辺りからレゲエが広く認識され始めたこともあるだろうけど。
で、このバックを務めたシマロンズというバンドは、純然たるブリティッシュレゲエの元祖、要はマトゥンビ、アズワド、スティールパルス等、英国にレゲエが数多く登場する先駆け的な存在なのですが、正直日本のヴィンテージレゲエファンからはほとんど支持されていない。
本来はリーペリー "Black Ark" や"Channel One" なんかで出してるキラーなルーツレゲエバンドなのに、
日本で知られた頃にはポップになっていて、
ちゃんと紹介されることもなかったのかも。
だから、シマロンズというバンドをいち早く日本のシーンに紹介していたって視点でも、
このウッチャンのアルバムは貴重ではないかと。
なぜ、こんなセッションが実現したのか?
ウッチャンがシマロンズの存在を知っていたかどうかは定かではない。
おそらく知らなかったのでは?
多分、ウッチャンがソロデビューするにあたり、レゲエをやりたいとフィリップス(レコード会社)に言ったら、
やはりレコード会社としても『元キャロル』の看板を持つウッチャンの作品に期待するものは大きかったはずだし、
なんとかレコーディング可能なミュージシャンを探したんだと思う。
それが、たまたま英国からヴォーカルグループ、パイオニアーズが来日する際にバックを務めるためにシマロンズが同行することになりタイミングよくオファー出来たようだ。
しかも、英国TROJANレーベルの日本盤を、
日本フィリップスがリリースしていたこともあってパイプがあったことも大きかったと思われる。
シルグルカットされていた
『鏡の中の俺』
確か2000年頃にラジオで使うネタを探していた時に
クボタタケシから教えてもらった。
その頃は今みたいな和モノブームではなかったけど、
日本人歌手のレゲエネタを探しまくっていた。
「コレ、ヤバイよ。キャロルの人がレゲエをやってるんだよ」
クボタが見せてくれたこのシングルはジャケを見ただけでカッコいい曲だと想像つくけど、よくありがちなトロピカル系のレゲエじゃなくて、ちゃんとロックのテイストのままでレゲエを採り入れてるし、歌詞もダークな感じ。
へー、こんなん出てたのか、よく探してきたなって感心したけど、いずれどこかで見つかるだろうって思ってた。
そしたらクボタやハナちゃん(笹沼位吉氏)が和モノ本で紹介してたりして中古盤屋でも高くなり、
和モノ好きにはそれなりに有名なレコードになったから半ば諦めてたというか、すっかり忘れていた頃に
和モノディガー江戸が昨年ディスクマーケットで奇跡的に安く売られてるのを発見~捕獲~僕の誕生日にプレゼントしてくれたのだ。
その後、松山に来た森ラッピンもDJでかけてたりして妙に嬉しかったり。
そうやってシングルで存在を知った後にこのアルバムがあるって知ったけど、
なぜかあまり聴く気になれなかったので放置していたが、
今回このCDがリリースされたことで初めて全編聴くことが出来た。
いや、コレ最高ですよ。
ハッキリ言ってヴォーカルなんて下手だし、
引き込まれるような歌ではないけど、そこがまた良くて、
日本語で歌ってる曲が特に良いかな。
今っぽい感じがする。
このアルバムの続編パート2もあるみたいで、
そこでも『鏡の中の俺』を再演したりしてる。
一応ソロセカンドアルバムなのに、まだ帯にキャロルのロゴを使ったりしてレコード会社も売ろうと工夫していた跡が窺えるが本人的には屈辱だったろうな。
矢沢ならあり得ないもん。
とにかく、このファースト聴けてよかった。
僕の日本のロックアルバムランキングに入ってくる作品だった。
最後に、このアルバムのジャケットはホルヘサンタナを
そのままパクってるって思い込んでたけど、
今回よく考えたらウッチャンのは75年、
サンタナ弟のは78年リリースだった!アレ?偶然?
いやー、これは謎として残ったな。
光のおもてなし in 松山城2018
千のヴァイナル radio show
『お城の前で』
DJ カマタヒロシ
@ 松山城本丸広場
2018/08/12/SUN
17:00-21:00
(ロープウェイ最終21:30)
入場無料
info 城山荘 0899414622
緊急決定!
今年も「お城の前で」
『千のヴァイナル』
ラジオショースタイルでDJ
急遽決定しました!
もう4年目くらい?かな。
今年はやらないと思ってたし、
僕も出れないだろうなと思ってたので
まさかの展開になりました。
お客さんも急に言われてもって感じでしょうが、
是非お時間あれば上がってきてください。
本当に最高のロケーションです。
毎年特に終了間際で良い感じになってきて
最後はロープウェイ終電に焦って終わる
ってことの繰り返しなのでお早目のご来場でお願いします。
先日、こんなニュースがあった。
ポール、アビィロードの横断歩道を渡る。
https://www.barks.jp/news/?id=1000157890
ロック史上最高の名盤のタイトルであり、
そのアルバムを始めとする数々のビートルズ作品をレコーディングしたスタジオの名称。
(モチロン、ビートルズ以外のアーティストも使っているスタジオだ)
最も有名かつパロディのネタになっている
カバーアートでもある。
このジャケ写が撮影されたのは、
今から半世紀近く前の1969年8月8日
午前10時頃だったらしい。
『アビー・ロード (Abbey Road) は、ロンドンの行政区、カムデンとシティ・オブ・ウェストミンスターにまたがって走る通りである。北西のカムデン側から、付近にローズ・クリケット・グラウンドがあるウェストミンスターのセント・ジョンズ・ウッド地区を南東方向へ横切る通りで、B507線の一部である。』(wIkipedia)
ここ、僕も偶然行った。
偶然って言っても別に散歩してたら
アビィロードの横断歩道だったってことでもなくて、
今から十何年も前にロンドンに買い付けに行った際に
スケジュールを勘違いしていて、
帰る日を間違え丸一日空いてしまったから、
たまには観光してみるか、と、
ガイドブックみたいなのを見ていたら、
滞在していたホテルから地下鉄ですぐ行けることが判明して、
個人的にビートルズで唯一好きなアルバムなので、
そら行くしかないやろっとミーハー心に動かされ行ってみることに。
セントジョンズウッド駅から徒歩5分。
何の下調べもなくてもすぐ着いた。
もうパワースポットばりに、いろんな国からやって来たであろう人たちが撮影していたので、すぐわかった。
ただ、コレ、ホントにここで合ってる?
と、その辺の人に聞きたくなるほどに普通。
当たり前だがただの横断歩道でしかない。
それどころか家の近所の横断歩道の方が
よっぽど広いわってくらいの短さ。
ビートル4人が歩いてちょうどくらい。
僕も特に何かを求めて来たわけでもないし、
観光客用のギミックが無いのも好感持てるけど、
この「なんてことはない」感は
高知はりまや橋を上回るほど普通中の普通。
それでも、来たからには撮影しないと、
と思ったけど、
かなり車の通行量が多くて呑気に撮影なんてしてたら車が突っ込んできそう。
もう地元の人も何十年も毎日毎日この光景を見てる訳だが、
それでも我々をおちょくるように通りすがりの車から窓を開けてビートルズのフレーズを歌ってきたり。
もう、本気であのジャケットと同じように撮影したいなら、
撮影者込み5名で車の通行量の少ない早朝に行くしかないかなと。
僕はちょっと気恥ずかしい感じもあって、
中途半端な撮影しかできなかった。
一応、歩いてる写真を後輩に撮ってもらったのだが探しても見つからなかった。
それ以降このジャケがより好きになり、
各国盤シングルとかも手に取るようになった。
そして、それまで以上にアビィロードを聴きたいと思うようになり今でも定期的に聴いてる。
特にこのアルバムのお陰でジョージハリスンのファンになった。
で、話は戻って、ニュースを見た時、
確かポールマッカートニーの自宅も、
ここの近所にあるって聞いたけど、
ポールって、この撮影以来一度もこの横断歩道を歩いたことなかったんだろうか?と
ふと気になった。
そりゃいくら近所に家を持ってると言っても
そこに住んでるとは限らないし、
いたとしてもふらっと散歩したり出来ないとは思う。
ジョンレノンはヨーコさんとダコタアパートからセントラルパークを散歩するのが日課になってて、
その行動パターンがあまりにも有名になってたからこそ
あんな悲劇が起こってしまったわけだし。
ま、だからこそ、こうやってポールがアビィロード前を歩いただけでニュースになったのか。
でも、せっかくファンサービスでやったのなら、
当時を再現して素足で歩いてほしかったなぁ。
ちなみにアビィロードのサイトで現地を
一年中ライヴヴューできます。
https://www.abbeyroad.com/crossing
誰か友達が行く時は今から行って手を振るよーって、
いいともオープニングのアルタみたいな使い方も可能です。
ポール師匠が渡る時も予告してくれれば観れたのに。
♪アビーロード風に歩こう
アビーロード風に歩こう♪